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直江兼続の周辺人物―上杉景勝

直江兼続が一生をかけて仕え、忠義を尽くした主君、それがこの上杉景勝です。上杉景勝は弘治元年(1555年)に長尾政景の次男として生まれました。母親は上杉謙信の姉である仙桃院(仙洞院とも)であり、永禄7年(1564年)に父の長尾政景が死ぬと春日山城に入って上杉謙信の養子となりました。この頃はまだ長尾顕景と名乗っていましたが、天正3年(1575年)に上杉景勝と名を改めています。


天正6年(1578年)に養父の謙信がなくなると、景勝は上杉景虎との後継者争い(御館の乱)の末家督を相続します。家督相続後は主に織田家と戦いますが、柴田勝家に攻め込まれ一時は上杉家滅亡の危機に立たされます。しかしちょうど時を同じくして本能寺の変が起こり、柴田勝家が軍を引いたためなんとか事なきを得ました。


豊臣政権下では豊臣秀吉の信頼を受け、五大老の1人として重用され、小田原攻めや朝鮮戦争にも参加しています。さらに奥州の伊達政宗に対する押さえとして会津120万石へ加増移封され、これに従いました。その直後に秀吉が亡くなると徳川家康と対立するようになり、関ヶ原の戦いでは西軍として最上家、伊達家と戦いました。


戦いの後家康に降伏した景勝は、許されて米沢30万石に移封されて米沢藩初代藩主となり、元和9年(1623年)3月20日、米沢で亡くなるまでその立場にとどまりました。上杉景勝の遺骨は和歌山県高野町の高野山清浄心院、遺灰と衣冠は山形県米沢市の御廟の上杉家御廟所に、それぞれ納められています。

         

直江兼続の周辺人物-その1

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