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直江兼続の周辺人物―伊達政宗

直江兼続と伊達政宗―長谷堂城の戦いでは相対した両者(伊達政宗が実際に戦闘に参加したわけではありませんが)ですが、この2人何かと因縁のある間柄となっています。有名なエピソードを2つ紹介しましょう。


まだ豊臣政権下だった頃のお話。あるとき伊達政宗が同席していた諸大名に天正大判を回覧しました。すると兼続だけがそれを素手ではなく、扇子で受け、撥ねるようにして表裏を見たと言われています。伊達政宗は直江兼続が遠慮しているのかと思い、直接手に触れて見るように勧めたところ、兼続は「不肖兼続の右手は戦場にあっては先代・上杉謙信の代よりの采配を預かるもの。左様に不浄なものを触れるわけには参りません」と、政宗の下へそのまま投げ返したそうです。


次に紹介するエピソードは江戸時代に入ってからのものです。あるとき直江兼続は江戸城の廊下で伊達政宗とすれ違いました。このとき会釈すらせず素通りした直江兼続に対して伊達政宗は憤慨しますが、直江兼続はこのような返答をしました。「なるほどうしろ姿は紛れもない政宗公、戦場では幾度もお目にかかっておりましたが、いつもうしろ姿ばかりで正面から拝見しても一向に気がつきませんでした」。
※つまり直江兼続は伊達政宗が逃げる姿しか見たことがなかったと述べているわけです。

上杉家が会津へ移ったときに直江家の居城となるなど、直江兼続とゆかりの深い場所の1つとして米沢城が挙げられますが、実は伊達政宗の生誕の地がこの米沢城でした。なにかと縁のある2人ですね。

         

直江兼続の周辺人物-その1

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