直江兼続の周辺人物―本多正信
直江兼続が徳川家の人物で懇意にしていたのが、この本多正信です。本多正信は関ヶ原の戦いの後、上杉家が徳川家康に降伏するときに仲介役を果たした人物としても知られています。また直江兼続が本多正信の次男本多政重を婿養子としていた時期もありますし、慶長14年(1609年)には正信の取り成しで10万石分の役儀が免除されるなど直江兼続にとって、また上杉家にとって本多正信は大きな影響を及ぼしたと言えるでしょう。
本多正信は天文7年(1538年)に三河で生まれました。当初は鷹匠として徳川家康に仕えていましたが、永禄6年(1563年)に起こった一向一揆の際に一揆側に与して家康の下を出奔し、大和の松永久秀に仕えるようになりました。しかしやがて松永家も去って諸国を流浪するようになりますが、この頃のことはよく分かっていません。その後大久保忠世のとりなしもあって徳川家に帰参することができました。
徳川家に復帰後は家康の参謀として大いに活躍することとなります。とりわけ徳川幕府成立後には駿府の徳川家康の下に嫡男の正純を置き、自分は江戸の徳川秀忠の下で政治手腕を発揮するといった具合に初期の幕政を完全に牛耳っていました。しかしそのような状態にはあっても所領は少なく、相模玉縄に2万2000石(1万石との説も)のみであったと言われています。後に嫡男の正純が大身を得たとたん失脚したことを考えれば正信の優れた見識を示しているとも考えられます。
本多正信は徳川家康が亡くなってほどなく、元和2年6月7日(1616年7月20日)に79歳で亡くなり、後は嫡男の正純が継いでいます。