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直江兼続の周辺人物―仙桃院

若き日の直江兼続―まだ樋口与六と名乗っていた頃の彼を見て、その非凡な才能を見出したのがこの仙桃院です。仙桃院は大永4年(1524年)もしくは享禄元年(1528年)に長尾為景の娘として生まれました。弟に上杉謙信がいます。上杉謙信とは母親を同じくしていると考えられ、姉弟仲は大変良かったようです。


天文6年(1537年)頃に越後坂戸城主長尾政景と婚約が成立し、そのもとに嫁ぎました。仙桃院とこの長尾政景との間には二男二女がおり、長男の義景は早世しましたが次男の長尾顕景は後に上杉謙信の養子となり、名を景勝と改めて謙信の後を継いでいます。また娘2人はそれぞれ上杉景虎と上条政繁に嫁いでいます。


永禄7年(1564年)には夫の長尾政景が坂戸城近くの野尻池で宇佐美定満とともに船を浮かべて宴会をしていたところ、船が転覆してそのまま亡くなるという事件が起こりました。この事件の後仙桃院は息子ともども春日山城に引き取られ、景勝は謙信の養子となったわけです。


やがて上杉謙信が亡くなると御館の乱が起こり、上杉景勝と上杉景虎が上杉謙信の後継者の座を巡って争います。これは仙桃院にとって非常に辛いことでした。前述の通り上杉景勝は仙桃院の息子ですし、上杉景虎には仙桃院の長女(次女という説も)が嫁いでいたのです。結局この戦いは上杉景勝側が勝ち、仙桃院の娘と孫の道満丸は上杉景虎とともに亡くなってしまいます。


仙桃院は当時としてはかなりの長命で、上杉家の米沢移封にも付き従い、慶長14年(1609年)に米沢で亡くなりました。墓所は米沢林泉寺にあります。

         

直江兼続の周辺人物-その2

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