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直江兼続の周辺人物―本多政重

直江兼続の娘と結婚し、一時直江家の婿養子となっていたのがこの本多政重という人物です。一時という表現からも分かるように後に養子としての関係は解消していますが、直江兼続とはその後も親交を続けたようです。


本多政重は天正8年(1580年)に本多正信の次男として生まれました。兄は本多正純で、当初は父や兄とともに徳川家康に仕えていました。この頃は倉橋家の養子となっていましたが、慶長2年に徳川秀忠の乳母の子岡部荘八を斬り殺して徳川家を逐電、大谷吉継に仕えるようになりました。やがてそこも去り、宇喜多秀家に仕えるようになり、この頃は正木左兵衛と名乗っていました。宇喜多家に仕えた状態のまま関ヶ原の戦いを迎え、敗れた後は近江国堅田へ隠棲しますが、父親の影響かお咎めはなかったようです。


その後は福島家、前田家、上杉家と主家を転々と変えていますが、慶長9年(1604年)に直江兼続の娘於松と結婚して直江家の婿養子となり、名を直江大和守勝吉と改めています。しかしその翌年には於松が亡くなってしまい、直江兼続の養女阿虎と再婚して名を本多安房守政重と再び改めています。


しかし慶長16年(1611年)にはこの上杉家も去り、翌慶長17年(1612年)に前田家に再仕官して知行3万石を拝領しました。以後は前田家に仕え続け、大坂の陣にも参戦しています。その後も家老として前田家を支え、正保4年(1647年)に隠居するまでその立場にとどまりました。同年68歳で亡くなり、後は本多政長が継ぎました。

         

直江兼続の周辺人物-その2

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