直江兼続の周辺人物―上杉定勝
直江兼続とお船夫婦が主君上杉景勝に代わって育て上げたのがこの上杉定勝です。上杉定勝は直江兼続死後のお船の方の面倒も非常によく見ており、直江兼続お船夫婦との関係の深さを感じさせます。
上杉定勝は慶長9年5月5日(1604年6月2日)に上杉景勝の庶長子として生まれました。母親は上杉景勝の側室(上杉定勝誕生時点ですでに正室の菊姫は死去)で、上杉家と同じく藤原北家の後裔である四辻公遠の娘でしたが、この四辻氏(桂岩院)は定勝を生んで百日余り後に亡くなってしまいました。そこで父親の上杉景勝に代わって定勝の面倒を見たのが直江兼続とお船の方夫婦でした。
元和9年3月20日(1623年4月19日)に父親の上杉景勝が亡くなると、景勝にとって唯一の実子だった上杉定勝がその後を継いで第2代米沢藩藩主となります。定勝は藩主となってもすでに未亡人となっていたお船の方の恩を忘れず、お船の方に化粧料3000石に加え手明組40人を与えています。寛永13年(1636年)にお船の方が病に倒れたときには、定勝自ら見舞いに訪れ、病気平癒を祈願しています。しかしその願いも虚しく、お船の方は翌寛永14年(1637年)1月4日に亡くなってしまいます。それを受けて定勝は高野山に使者を遣わし、お船のために墓石を立てたと言われています。
それからわずか8年後の正保2年(1645年)には上杉定勝も42歳という若さで死に、後は嫡男の綱勝が継ぎました。